連絡先
理事長  逸見 博志
〒720−1812

 広島県神石郡
神石高原町油木甲7616-1

電 話
090−2004−4756
















役員紹介
全国展開 神石高原町1円玉募金会 
理事長 逸見 博志  
副理事長 栗原 立夫  
事務局長 赤木 健二  
理  事 橘高 石二 久吉 岩男 安名 弘行 山本 真 
森田 一二三 前原 裕吉 中西 勝行 中野 達也 
松本 彰夫 橋本 輝久 妹尾 幸太郎 横山 素子 
安名 法子 久吉 恭子 加藤 せい子  
橋本  正 加村 育子  
顧  問 牧野 雄光 山本 剛久  

実施団体  神石高原町立各小学校児童会 
   神石高原町立各中学校生徒会
 後援団体  神石高原町教育委員会
   神石高原町PTA連合会
   神石高原ライオンズクラブ
  公益社団法人 神石高原町シルバー人材センター 
寄付金納付先   日本赤十字社 広島県支部

一円硬貨 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

一円硬貨(いちえんこうか)とは、日本政府発行の貨幣であり、額面1硬貨である。日本
流通している硬貨の中で最も累積の製造枚数が多い。一円玉(いちえんだま)とも呼ばれる。(発行年 1955年(昭和30年)

素材 アルミニウム    
  
品位 アルミニウム 100%
量目 1g
直径 20mm
図柄 若木(表面)
厚さ 約1.5mm
概要[編集]

表面には「日本国」と「一円」そして「若木」が、裏面には「1」と製造年がデザインされている。この表裏は造幣局での便宜的な呼称で、明治時代の硬貨と異なり法律上の表裏はない。

それまで使用されてきた一円黄銅貨が1953年昭和28年)を以て廃止されたため、一円の貨幣は一円紙幣のみとなった。しかし、1955年(昭和30年)に一円硬貨と五十円硬貨が発行されることとなり、前年の1954年(昭和29年)に、この一円アルミニウム貨と五十円ニッケル貨のデザインが第二次世界大戦後初めて一般公募された。40日間の公募期間で、一円硬貨だけで2,581点の応募があり、表の「若木」のデザインは当時京都府在住の中村雅美のものが、裏の「1」のデザインは当時大阪府在住の高島登二雄のものが、それぞれ選ばれた。ちなみに若木のデザインのモデル樹種は特になく、特定のモデルがないからこそ却ってどのにも通じる、という考え方である。なお、一円硬貨のデザイン一般公募に際して大蔵省は受賞者に対し賞金7万5千円を贈る事にしていたが、上記の通り受賞者が二人となったため、それぞれ半額の3万7千5百円を賞金として贈呈した。

1960年代高度経済成長に伴うインフレ自動販売機の普及などによって補助貨幣が慢性的に不足しており、生産ラインも限られていたことから、当時の大蔵大臣田中角栄の指示で、1963年(昭和38年)から1964年(昭和39年)にかけて府中刑務所懲役受刑者の刑務作業として一円硬貨の製造作業を行なったことがある[2]

消費税導入前はスーパーなどで細々と流通している程度だったが、消費税導入以降は五円硬貨とともに流通量が激増したため、大量に製造されていた。しかし消費税が3%から5%に増税された1997年(平成9年)以降は需要が減少、それに伴って製造量も減らされており、特に2001年平成13年)は802万4千枚しか製造されなかったため、同年製造分の未使用硬貨は古銭商などで額面を超える価格で取引されている。さらに2011年(平成23年)は電子マネーの影響も受けて貨幣セット(ミントセット)用の45万6千枚のみの製造にとどまり、一般流通用については1968年(昭和43年)以来43年ぶりに製造されなかった[1]。ちなみに、2011年は五円硬貨・五十円硬貨も一円硬貨同様、ミントセット用の45万6千枚のみ、2012年も一円硬貨・五円硬貨・五十円硬貨はミントセット用の65万9千枚のみの製造にとどまっている[3][1]。2013年も「流通量は安定している」との判断から、全量が記念販売の貨幣セット向けに製造される[4]
一円硬貨1枚を製造するのにかかるコストは額面以上であり、政府による貨幣発行益は2003年(平成15年)当時で1枚当り13円の赤字とされる[5]。原料となるアルミニウム地金は2011年12月現在で1トン当たり20万円前後(1枚あたり約0.2円)で推移している[6]2009年(平成21年)初めに造幣局が民間から調達した1円硬貨用アルミ円形4200万枚の調達価格は3352万円(1枚あたり約80銭)とされる[7]。2013年現在、1円玉の製造に約3円かかるとされる[4]